祈り 東京初日
私のブログはライブレポがメインで、ライブに参加出来なかったfamilyさんにそのライブの様子をお伝えしたくて毎回書いてます。
なのだけどZepp初日のライブは異例のもので、言葉にするのは難しくそれを発信することにも戸惑いがあります。
ただ小出しに伝わる情報にモヤモヤしてるfamilyさんもたくさんいらっしゃると思うんです。
私自身も混乱していて文章にするのは難しいのですが、とりあえず昨日の経緯を簡単に書きます。
痩せて髪型が変わってかっこいい翔太さんに会える。期待いっぱいで臨んだライブでした。
オープニングの過去にない演出は期待を裏切らなかったしテンション爆上がりだった。
異変を感じたのは3曲目。
(私は二階席で遠かったからそこで気づいたけど前方のお客さんはもしかしたらそれ以前から感じてたのかも)
爆上がりの3曲目、1番の途中から翔太さんは泣き崩れました。この曲ほぼ歌えず………。
えっ、この曲でこのタイミングで泣くってどういうこと?
感激することあったのかな?
最初のMCで「泣いちゃったよ テヘペロ」的な発言があるかなって思ってたんだけど、MCの内容は全然ちがった。
語られたのは、大切な人が2月5日に亡くなって今日が葬儀だったって言うこと。
気持ちが整わなくて、せっかく高いチケットを買ってここに足を運んでもらったのにいつものクオリティーのパフォーマンスは難しく申し訳なく思っている。
ライブの中止も勧められたし、その人の側にいたい気持ちもあるけどそれはきっと(故人も)望んでいないと思うので歌うことに決めました。
こんなニュアンスでした。
確かに登場からいつもの「トーキョー!!」みたいなのなくて、挨拶も「清水翔太です」って深々と頭を下げてだった。
そんな中でのライブはほぼ泣き通しで、歌い終わると深く頭を下げ続ける事の繰り返し。
ひたすら目に手を当ててる姿や時にしゃがみ込んで泣いている姿など、視覚的要素に支配されてしまって、歌がどうとかほぼ記憶がありません。
セトリもはっきり覚えてないんです。
これって、こんな中でライブしてくれた翔太さんに申し訳ないんだけど………。
私も経験したことのないライブ。
ただただ痛々しかった。
どうしていいかわからなかった。
頑張っての気持ちもありつつ、でも私の中ではもう(頑張らなくて)いいよって思いも大きくて、だから何も声にすることが出来なかった。
出来たのは翔太さんの歌えない場面で代わりに歌ったり、拍手を送ることだけ。
本編終わっても照明つかなくてアンコールがあることに気づいたけど、正直やらなくていいと思った。
なんかね、憔悴してる姿を見ていられなかったんだよね。
ライブ盛り上げるのが支える意味で正解だったとして、泣き続ける推しを見て盛り上げるテンションにはどうしても気持ちを振れなかった私は未熟者です。
私自身が混乱してしまっていっぱいいっぱいだったんだよ。
良く聞く話で
芸能人は親の死に目にも会えない。
どんなに辛い状況でもステージではそれを見せてはいけない。
笑ってステージに立つ、それがプロ。
その意見はきっと正しくて、お金取ってる以上そこに来てくれたお客さんに演者の事情は関係ないからでしょう。
その目線で言えばこの日のライブはプロ失格なのかもしれません。
この日が初翔太ライブで、この日しかライブに来れなかったお客さんにしたらモヤモヤが残ったのも理解できます。
だからこれは私の個人的な意見です。
翔太さんは昨日familyにライブをゆだねたのかもしれません。
familyへの信頼感と依存。
アーティストでありながらfamilyととても近いスタンスで関わってくれる人だからこそ、生身の清水翔太でそこにいたような気がします。
辛い時に笑えない、そのままの姿で。
今回のセトリについては、訃報が届く前に決めて変更はしなかったと話されてました。
選曲が現状の翔太さんの気持ちに寄り添う歌詞のものが多かったようです。
私達に寄り添ってくれた曲達が、翔太さん自身も支えてくれる事を祈ります。
東京は2days。
今日もライブはあります。
昨日の翔太さんを見る限り、簡単に気持ちを切り替えられるとは思えず私にも不安な気持ちがあります。
大切な人を亡くした喪失感を埋めてあげる事は出来ないし、支えるために本当に何をしていいかわからないけど、寄り添いたい想いは強くあります。
会場に足を運んで同じ時間を一緒に過ごす事に意味があると思いたいです。
今はただそれだけ。
参加のfamilyさん、一緒に踏ん張りましょう。
思いつくままに書きました。
乱文失礼しました。
2024.2.8
Zepp Diver City Tokyo
2階席 E列センターブロック
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